樹林舎

『知多巡礼紀行』報道と書評



知多四国霊場会 200年の歩みを出版
信仰者の心、観光も織り交ぜ

2009 年(平成21 年)7 月30日 毎日新聞

昨年、知多四国霊場開創200年を迎えたのを記念して、知多四国霊場会は200年の歩みをつづった本「保存版 知多巡礼紀行」を出版した。200年史編さん委員会委員長の長谷川実彰・大智院住職は「寺の歴史だけでなく、信仰した人々の心や地域の観光なども織り交ぜて編集した」と話す。本は7章からなり、1〜6章は東知多北部、東知多中部など地域ごとにまとめ、霊場88カ所と開山所3カ所、番外札所7カ所を紹介。写真はフリーライターの内藤昌康氏が担当し、約700枚を掲載した。まちの様子や人々の暮らしぶりが分かる写真をふんだんに取り入れている。寺周辺の地図もある。

最後の7章は、知多四国霊場の歴史を分かりやすくまとめた。霊場に関する用語集、お参りの仕方やマナーなども記され、巡礼者に便利な本になった。

また初版限定で「巡礼道地図帳」を別冊付録として付けた。失われつつある江戸時代の「知多四国弘法道」を知多四国こうぽう道保存協力会の利根昭平代表が15年かけて踏査したルートや、道標などを記した。



巡礼のお供に充実の手引書
知多四国霊場開創200年を記念札所寺院など出版
歴史、見どころ写真で紹介

2009 年(平成21 年)7 月17日 朝日新聞

知多半島を中心とした98の札所寺院でつくる知多四国霊場会が、霊場開創200年を記念し「保存版 知多巡礼紀行」(樹林舎)を出版した。各寺院の歴史や見どころなどを写真を交えて解説。資料として充実した内容で、巡礼者にも格好の手引書になる。寺院を所在地で分け、写真家内藤昌康氏の撮影で建物や境内を飾る季節の花などを紹介している。周辺地図とこぼれ話も掲載した。巻末には霊場の歴史解説と年表、関連用語集や寺院一覧を添えた。現在の地図に併記した別冊の「弘法道地図帳」が初版限定で付く。

開創200年の昨年は、例年を大きく上回る15万人が訪れたという。200年史編さん委員長の長谷川実彰・大智院住職(61)は「地域のおかげで長く霊場が続いてきた。200年は半島の住民と歩んだ歴史」と地元に感謝する。巡礼道を20年以上調査し、別冊用に資料を提供した「知多四国こうぼう道保存協力会」代表の利根昭平さん(79)は「なくなっていく道を記録に残したいと自分用に作った調査メモが、本になるなんて照れくさい」と話す。


知多四国霊場に解説書 開創200年記念「巡礼の視点で」
2009 年(平成21 年)7 月15日 朝日新聞

知多四国霊場の開創200周年を記念し、知多半島の各札所の歴史と巡礼道の風土を解説する書籍「保存版 知多巡礼紀行」(定価9975円、樹林舎発行)が刊行された。同霊場八十八カ所の番号札所などの寺院計98カ所で構成する知多四国霊場会が執筆・監修した。写真700枚を使い、遍路道の風景も紹介した。
知多市南粕谷本町1丁目の大智院の住職で、同書の編さん委員長を務めた長谷川実彰さん(61)は「地域の人々とともに歴史を刻んできた。寺側の視点ではなく、巡礼者の視点から歴史をひもといた」と話す。巻末に、初心者向けの用語集を収録。本文にも丁寧にふりがなをふった。また、初版1500部限定で、「巡礼道地図帳」を付録につけた。関係者が15年かけて踏査した古道ルートが併記されており、道標や石碑の位置も記した。


「知多巡礼」魅力1冊に
2009 年(平成21 年)7 月15日 読売新聞

知多四国霊場の各札所の歴史などを解説する本「保存版 知多巡礼紀行」が発刊された。知多四国霊場が昨年、開創200周年を迎えたのを記念し、同霊場八十八カ所の番号札所などの寺院98カ所で構成する知多四国霊場会が執筆・監修した。

内容は、200年の歩みをつづりながら、知多半島の風土の魅力などを、700枚の写真を使って紹介。巡礼するときに役立つ用語集も掲載したほか、初版1500部限定で、「知多四国の弘法道」を15年かけて踏査した古道ルートが併記されている実用的な「巡礼道地図帳」が付いている。編さん委員長で、大智院(知多市南粕谷本町)の住職長谷川実彰さん(61)は「この本を読んで、1人でも多くの人が知多四国霊場に興味を持ち、足を運んでくれたら」と話している。

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『名古屋情熱時代』報道と書評




昭和20年から30年代の名古屋
貧しくもたくましく

2009 年(平成21 年)3 月28日 中日新聞

新聞が発行された記憶を語り継ごうと、昨年10月に62年の歴史を閉じ休刊した名古屋タイムズ(名タイ)の元社員らが、創刊以来の写真を報道写真集にまとめ、「名古屋情熱時代」として出版した。昭和20〜30年代の「街ダネ」を中心に260枚の写真が収められている。

元社会部デスクの長坂英生さん(51)が、歴史の記録となる資料が散逸するのはしのびないと、会社と交渉し写真ネガなどの所有権を譲り受けた。仲間とともに名古屋タイムズアーカイブス委員会を設立し、4トントラック1杯分にもなる膨大な資料の整理を進めた。東山動物園で戦災を生き延びた象の歓迎を受ける子どもらや店をPRする「サンドイッチマン」など、貧しくもにぎやかな時代の一コマが切り取られている。

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三重県絵はがき集成



【2006年(平成18年)12月26日 伊勢新聞−ダイジェスト】
 このほど、明治末期から昭和初期の県内各地を写した写真絵はがき300点を掲載した「三重県絵はがき集成」を限定出版した。
 三重大学文学部の西川洋教授(当時)が監修した。県内を桑名、四日市、鈴鹿・亀山、津、松阪、伊勢、志摩、伊賀、東紀州など地区別に9章に分け、100枚には現在の場所との比較写真も掲載、詳細な解説と、各章ごとに識者の概説を付けた。
 樹林舎によると、写真絵はがきはカメラが高級品だった明治30年代後半、庶民に手の届く小さな美術品としてブームになったという。歴史をひもとく資料として一つにまとめたいと、3年前から準備を進めていたところ、ことし(2006年)初めに東京・神田の古書店で三重県内の写真絵はがき約2,000枚を収めたアルバム3冊が見つかり、それまでに集めた2,000枚と合わせて選び、出版が実現した。
 樹林舎は「写真絵はがきを、当時の風俗や時代が分かる一級の文化財として一冊にした。失った素晴らしい風景を見直し、これからの都市計画や観光を考える素材にしてほしい」と話している。


【2007年(平成19年)1月4日・11日  三重ふるさと新聞−ダイジェスト】

 絵はがきが日本で大流行したのは明治38年(1905)、年間流通4億枚を超え、米国の流通をしのぐ勢いと言われた。それから100年を記念しての企画だが、第1号として三重版が出版されたのは、東京の古書市で、蒐集家により丁寧に分類・保存された3冊の絵はがきが発見されたこと。中には三重県に関する絵はがき2,000枚があった。
 更に、三重県内各地のコレクターの協力をあおぎ、秘蔵の2,000枚を発掘。合わせて4,000枚の中から印刷状態や保存状態もよく、地域の原風景を今に伝えるもの300枚を選んだ。
 また、あとがきの中で、日本の風景保全のために風致地区や名所地区の新設を訴え、明治25年(1892)帝国議会に風景保護の嘆願書を提出した田中善助を取り上げている。善助は巖倉水力発電の創始、伊賀鉄道・朝熊登山鉄道の開発、榊原温泉の再興などに尽力した伊賀上野出身の実業家。果敢な開発者であったが、同時に日本で初めて風景保護を国に訴えた稀有な人物として田中善助を再評価している。


【2007年(平成19年)1月24日 中日新聞三重総合】
○未使用絵はがき2000枚発見

 人でにぎわう伊勢神宮、漁に励む海女たち―。明治時代末期から昭和時代初めにかけての三重県内の風景を写した絵はがき約2,000枚がまとまって見つかった。当時の収集家が丁寧に保管していたものとみられ、入手した出版社「樹林舎」は同じ場所の現在の風景写真や解説などを加え、写真集として出版した。
 絵はがきは、同社長(当時)の岩月正直さん(46=当時)と知り合いの東京・神田の古書店が、個人宅の蔵で他の古い絵はがきとともに発見したという。三重県分の2,000枚はほとんどが未使用で、3冊の分厚いアルバムに整理されていた。
 岩月さんによると、今から100年ほど前、日露戦争(1904−05)の勝利を機に、国内は絵はがきブームとなった。戦地の状況を撮影したものをはがきに印刷して販売。カメラが高級品でテレビもない時代。官製はがき程度のお金で買える「未知の風景」は人々の間でまたたく間に人気となった。戦後、勝利を手にした兵が帰還し、勇ましく行進する姿を収めた絵はがきは飛ぶように売れたという。
 ブームのピークは大正時代まで続いた。交通インフラが発達し、旅行者が増えたことで各地の祭りや名所を絵はがきにしたものが続々と登場。今回見つかった絵はがきもこうした世相のなかで作られ、収集されたとみられる。
 出版された「今昔写真集 三重県絵はがき集成」には、この2,000枚の中から選んだものに、独自に借りるなどした絵はがきを合わせて計300枚を収録した。隆盛を極める伊勢の旅館、風光明媚な鳥羽湾などの風景のほか、海水浴場で遊ぶ人々や人々が行き来する商店街など生活のにおいを感じさせるものも。
3分の2以上が、いまでは手に入りにくい“レア”な絵はがき。それぞれの場所にまつわる歴史を解説し、現在の写真を並べて比較もした。岩月さんは「100年前の様子を知ることのできる一級レベルの資料では」と話す。


【2007年(平成19年)1月26日 中日新聞愛知総合】
 貴重な絵はがき限定写真集出版 100年前の三重の風景
 ※内容は三重総合版と同じ。


【2007年(平成19年)1月26日 朝日新聞】
○絵はがきの風景、今は―100年前の三重と比較 写真集に

三重の風景や風俗を題材にした明治から昭和初期にかけての絵はがきを集めた「今昔写真集 三重県絵はがき集成」が出版された。絵はがきと同じ風景を撮影し、この100年で身近な風景がどう変わり、また、変わらなかったかを鮮やかに浮かび上がらせた1冊だ。
 船が行き交う桑名城の三之丸外堀、3階建ての旅館の前に人力車が並び繁盛する山田駅周辺、東南海地震で破壊される前の紀北町紀伊長島の名倉港―。明治から昭和初期にかけての三重県内各地の様子を、美しい絵はがきが見せてくれる。
 「絵はがきは貴重な歴史的資料」と、本を出版した「樹林舎」の岩月正直さん(46=当時)は強調する。貴重さが理解されないまま、処分されたり、散逸したりしてしまうのを防ぎたいと、1冊の本にまとめることを思いついた。
 東海3県にかかわる本を出版する岩月さんが手がけた「今昔写真集」は、東三河、西三河に続いてシリーズ3作目。前2作は写真を集めたが、今作は絵はがきで構成した。「三重は観光県。他県では考えられないような量の絵はがきが集まる」ためだ。
 それを裏付けるのが、岩月さんが見つけた大正期の絵はがきコレクションだ。個人宅や郷土資料館などにある絵はがきを少しずつ集めていた時、東京・神田の古書店で手に入れた。明治から大正期までの絵はがき約2,000枚を地域ごと、時系列ごとにまとめた「第1級」の資料だった。日露戦争後に始まった絵はがきブームの中で、大正期の資産家が集めたものらしい。
 「興奮した。さすが三重県と思った」と岩月さん。美しかった四日市や津の町並みは、戦争で破壊された一方、伊勢神宮の風景には変わることのない良さが息づいていた。ページをめくるうち、100年で劇的に変わった風景、変わらない風景を対比しようと、絵はがきと同じ風景を撮影することを思いついた。
 「地元の人に聞いて絵はがきの場所を特定する作業が一番大変だった」と岩月さん。船が行き交った河口は堤防に、高級別荘が並んだ砂浜は道路に、美しい洋風建築はコンクリートのビルに変わっていた。地元の人も絵はがきの風景がどこから撮影されたのか、わからないこともあったという。「家庭でも学校でも、昔の話を聞くことがなくなり、地域の歴史が断絶してしまった」。写真集では、資料にあたったり古老に聞き取り調査したりして、それぞれの絵はがきに短い解説をつけた。「絵はがきの資料としての重要性も伝えたかった」
3年かけて集めた約4,000枚の絵はがきから300枚を厳選し、現在の風景を撮影した写真100枚とともに収めた。


【2007年(平成19年)3月21日 CBCテレビ『イッポウ』】
○同番組のなかの「まじあな」コーナーで約7分間 本書の内容を現地ロケ含めて紹介

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『伊賀秘蔵写真帖』



【2004年(平成16年)12月21日 産経新聞−ダイジェスト】

伊賀地方の住民らが提供した370枚の写真が掲載されており、ふるさとの暮らしぶりや出来事などを知ることができる。樹林舎が今年(2004年)1月から準備に入り、伊賀市・名張市に住む200人以上の市民や小学校などから写真の提供を求めた。被写体は多彩で、人々の服装やリヤカーなどの道具類を通じて、その“時代”をうかがわせる構成だ。尾崎紅葉ら文人が芭蕉の故郷塚を訪問したスナップ(明治26年)など、初公開の写真も多い。
樹林舎は「庶民の視点から伊賀の歴史を発掘するのが出版の目的。写真に写っている人を探し出して話を聞くなど、労力をかけてつくった本です」と話している。


【2004年(平成16年)12月23日 朝日新聞−ダイジェスト】

 明治・大正・昭和の三つの時代にわたる伊賀地域の貴重な写真を集大成した大型写真集「永久保存版・伊賀秘蔵写真帖」が樹林舎から出版された。同社は、全国各地の古写真やアルバムが次々と失われていく現状を憂え、これらの貴重な写真を収集して、地域の文化財として保存・顕彰する運動を展開している。
内容は、伊賀市阿保の初瀬街道、同市上野東町、名張市上本町の商店街などの昔と今の写真を対比した「ふるさとの今昔」で始まり、「遥かなり明治・大正」「戦争の時代を生きて」「昭和戦後という曲がり角」の3部構成。未公開の貴重な古写真が多数掲載される。
戦後では、1955年(昭和30)に「青山町」が誕生するのに向け、町名を決める選定会の会場風景や、戦前に伊賀市緑が丘にあった上野海軍航空基地の跡地の航空写真など、時代の変遷を物語る記録写真も収録されている。

【2004年(平成16年)12月23日 伊勢新聞−ダイジェスト】

各家庭や学校に保存されていた写真3,000枚の中から370点を掲載。明治中期から昭和後期にかけての伊賀地域の風景や人々の暮らしぶりが、年代順に紹介されている。樹林舎は「豊かな文化を育ててきた伊賀人の表情を再現しようと、庶民の目線で歴史をたどった。郷土の素晴らしさを再認識してほしい」と話している。

【2005年(平成17年)1月16日 中日新聞−ダイジェスト】

昨年(2004年)は、名張市制施行50年、伊賀市誕生と伊賀地域にとって節目の年にあたったことから、樹林舎が企画。地域誌「伊賀百筆」編集長の北出楯夫さんや元伊賀地区文化財委員連絡協議会長の中川甫さんら郷土史に詳しい地元の11人も編集に協力した。
写っているものは多彩で、明治20年代に東柘植村(現伊賀市柘植町)周辺で進む関西鉄道(現JR関西線)の線路敷設工事の様子、昭和初期に名張市内で出征前に家族と記念写真に納まる若者、昭和30年代、白黒テレビを囲む家族…など、その写真もそれぞれの時代性をうかがわせてくれる。

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『奥三河物語』 愛読者カードより



■78歳男性無職(豊橋市弥生町)
自分の故郷を見ているようで、懐かしい写真集でした。大切に保存します。

■71歳男性農業(北設楽郡設楽町)
奥三河物語は素晴らしい本です。楽しく拝見しました。子供の頃の懐かしい写真、いつまでも大切にします。

■65歳男性古美術商(海部郡大治町)
生活感のある写真が良かった。

■60歳男性会社員(豊橋市横須賀町)
幼い頃の思い出がよみがえり懐かしく思いました。

■45歳男性不動産業(高浜市青木町)
これはGOODです。論より証拠!

■69歳男性農林業(新城市)
小生の地方の写真がたくさんあり大変いい写真集です。知人数人に見せてあげました。

■87歳男性(天白区一つ山)
懐かしい写真が豊富で感無量。

■72歳男性(豊橋市栄町)
故郷の知人親子の資料があり懐かしく思いました。

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