樹林舎

『真実の「名古屋論」 トンデモ名古屋論を撃つ』愛読者カードより



■41歳男性(愛知県名古屋市)
切り口の違った名古屋歴史論を読みたくて手に取りました。名古屋名物のなりたちに存在する嘘にビックリ。
この地方は知名度の高い戦国時代〜江戸に関するものに比べると、戦後〜現代の歴史書が少ないように思います。これからもこうした本の企画を望みます。

■52歳男性(岐阜県)
著者のファンで購入しました。
名古屋市に毎日通勤し、名古屋の魅力をあまり感じなくなっていたところだったので、改めて名古屋という地域について考えさせられ新鮮味を覚えました。

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「サムライ・ダイアリー」書評



サムライ・ダイアリー
下級武士の日常描く


世は元禄の尾張名古屋。御畳奉行・朝日文左衛門が二十六年間にわたって書きつづった日記「鸚鵡籠中記」には、当時の時事や風俗、文化、世情等が事細かく描かれ、下級武士の日常を知るうえでの貴重な史料だ。

本書は、その「鸚鵡籠中記」に、知られざる私事をつづった「秘本」があったとしたら……との設定で書かれた小説。名古屋弁の軽いタッチで、酒と芝居見物が何よりの楽しみという文左衛門の毎日がつづられる。江戸時代の名古屋にタイムスリップした気分だが、人生への迷いや夫婦、家庭の悩みは今も同じ。ほろりとしたり考えさせられたり、最後には意外なオチもあって、時代小説が苦手な人でも、面白く読める。

著者の天野純希さんは1979年、名古屋市生まれ。新感覚の歴史小説家として小説すばる新人賞を受賞している。

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「サムライ・ダイアリー」報道



2011年6月8日中日新聞
「中部の文学」小説・評論(清水信)※一部抜粋

 『桃山ビート・トライブ』で、第20回小説すばる新人賞を受賞した天野純希(名古屋市)の書き下ろし長編小説『サムライ・ダイアリー』(人間社刊)は、朝日文左衛門の『鸚鵡籠中記』を換骨奪胎した日記体の物語だが、三百年前の元禄の世は、まるで平成の時代と地つづきで、その風刺の筆には共感せざるを得ない。

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『塩の道 旅日記』報道と書評



【2004年(平成16年)12月1日 読売新聞】

20年かけて描きためた飯田街道の風景を、岡崎市のペン画家柄澤照文さん(55)が、「塩の道 旅日記」にまとめ、樹林舎(名古屋市天白区)から出版した。
飯田街道は、かつて三河湾で取れた塩を信州まで馬の背に乗せて運んだことから「塩の道」とも言われる。柄澤さんは、1984年春から今年(2004年)春にかけて、街道に残る古い商家や民家のほか、建物の屋上から鳥瞰した岡崎市や足助町(現豊田市)のパノラマ風景など約百景を描き続けた。0.2ミリのペンで描いたスケッチは細密そのもので、そのうち87景を選び、エッセーが添えられている。
道端で写生していると話しかけてくる地元の人もいて、柄澤さんは「会話する声や風の音などに、“耳を立てて”描きました。これからも、街道の歴史を丹念に掘り下げたい」と話している。

【2004年(平成16年)12月4日 中日新聞】
 「まず座り、そして黙る。そうしたら、描きたいものが見えてきます」。
 岡崎市中岡崎町、ペン画家柄澤照文さん(55)が、20年かけて描きためた作品をまとめた「塩の道 旅日記」を出版した。腰を落ち着け、細かい線描で景色をとらえた独特のタッチが温かい。
 1980年ごろから地名や歴史などについて調べ始めたのをきっかけに、かつての「塩の道」に興味を持った。三河湾から足助を通り信州までの街道を、軽トラックで40日かけてスケッチして回り、その後も三河湾沿いの塩田のあった場所、岡崎市や足助町(現豊田市)の町並みなど「塩の道」沿いの現在の姿を描き続けてきた。
 景色をあるがままに、細いペンで丁寧に描いていく。「何時間もじっとしているから、動いているもの、変化していくものがよく見える。じっと静かにして耳を澄ませていれば、周りを通る人の声や物音がよく聞こえる」
 画集には約90点の絵とともに、出会った人々との会話やその時感じたことなどを添えた。柄澤さんは「私の絵はたくさんの人たちとの出会いがなければ描けなかった。これからも、そこに長時間居座ったからこそ見える景色を描き続けていきたい」と話している。


【2004年(平成16年)12月19日 朝日新聞】

 三河地方を縦断して長野県へ続く飯田街道。昔は海から山へ塩を運んだ「塩の道」と呼ばれた。岡崎市中岡崎町のペン画家柄澤照文さん(55)が、この街道の風景や人々の暮らしを20年かけて描いた「塩の道 旅日記」を出版した。時代とともに変化した風景を素朴なタッチで描いた。柄澤さんは「出会った人とのふれあいや感じたことを絵日記風にまとめた」という。
 高校時代に油絵を始めた柄澤さんは29歳の時、地元で手作りのミニコミ誌を発行。挿絵として、身近な街並みを描き始めた。それをきっかけに、ペン画家としてデビュー。全国各地をスケッチ旅行して、江戸時代の先人の足跡や古い街並み、農山村風景を描き続けている。「塩の道」もその一つ。江戸・明治・大正・昭和にわたって、三河湾でとれた塩を山国へ運んだ街道に焦点を当て、絵で人々の暮らしの変遷を伝えようと考えた。
 旅の始まりは84年秋。軽トラックの荷台に幌をかけ、布団や着替え、自炊道具などを積み込んで、三河湾沿岸から長野県飯田市までのルートをたどった。普段なら、車で4時間もあれば行けるところを40日余りかけて2往復した。最初は古い商家や民家が残る宿場だった街を中心に写生し、次は地元の郷土史家らの協力を得て旧道を探索し、出会った人たちに声をかけながら歩いた。路上に座り込んでスケッチしていると、近所のお年寄りや子どもが集まってくることも。昔の町の様子や言い伝え、思い出話を描き、描く風景を決めた。その後も足助町(現豊田市)や岡崎市の写生を続け、今年(2004年)7月に飯田市のスケッチを終えるまで、思いつくままに取材と写生を繰り返した。
 はじめの旅から20年たち、最初のころに描いた建物や風景も少しずつ変化した。かつての塩田は田んぼになり、現在はごみ処理場へと変わった。「塩の道の原風景は急速に消えつつあることを感じる」と柄澤さん。
 0.2ミリの黒いペンで描いた細密な絵は繊細そのもの。止まっている車や洗濯物、屋根瓦1枚1枚も丁寧に描く。約100枚描いた絵の中から、本には87枚を掲載。土地で出会った人や思い出、印象などを短い文章で書き添えた。柄澤さんは「1枚1枚に思い出が詰まっている。目の前の風景だけでなく、暮らしの中の音や生活のにおいみたいなものも描きたかった。これからもスケッチの旅は続けたい」と話す。

【2005年(平成17年)4月3日 南信州新聞−ダイジェスト】
・出版ジャーナリスト塩澤実信氏の寄稿文から

 私の生まれ育った伊那谷の飯田は、太平洋側からもたらされた南塩と、日本海から運ばれた北塩によって岨道(そばみち)が引かれ、その小径を踏み固めたのが、中馬(ちゅうま)と呼ぶ馬の背に塩を載せて運んだ馬方たちの足だった。この飯田へ至る太平洋側の塩の道を、20年かけて街道の風物や暮らしまでを含めて克明にスケッチしたペン画家がいる。愛知県生まれの柄澤照文で、その労作が『塩の道 旅日記』にまとめられた。
 中馬が通ったこの道筋は、私の瞼の裏に焼き付けられていて、上京前に観察している風景だが、柄澤照文の一木一草、路傍の小石も丹念にスケッチしたペン画は、ネガティブだった画像をポジティブに反転させ、60年の時空を一瞬にして埋めてしまったのである。
(中略)山の民にとっては、塩の道は死活につながっていた。その失われつつある風景を、80余景の画文で辿るよろこびがここに可能になったわけである。ぜひ、ご一読を願いたい。

【2005年(平成17年)10月 季刊「西三河の歴史・文化情報誌 みどり」2005年秋号】

・フラメンコダンサー稲葉晶子氏の柄澤照文氏へのインタビューで本書が話題に。

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